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シベリウス交響詩「フィンランディア」

シベリウスの一番有名な交響詩「フィンランディア」は帝政ロシアの圧政に苦しみ、当時独立運動が起こっていた母国フィンランドにおいて作曲されたそうで、当時の帝政ロシアが演奏禁止処分にしたんだそうです。(ウィキより)

彼の作曲した「フィンランディア」は国民の士気を高揚させ、彼らの精神的支柱となり、
ついに母国は独立を果たしました。
シベリウスは作曲家の枠を大きくはみ出した国民運動家となったのです。
この曲の開放性に比べると前に紹介したショスターコビッチの交響曲「革命」は重苦しい感が否めないなあ。

その後、合唱曲として有名になる「フィンランディア賛歌」は1941年、詩が付けられたとの事。
今度はスターリン体制のソヴィエトから露骨な侵略行為を受けていたフィンランド国民を奮い立たせるものとなったそうです。

ゆえにこのフィンランディアは第二の国歌として有名なんだそうですよ。

ボクは、合唱部時代、この曲を混声で歌った事があります。
メロディの美しさもそうですが、
物凄くスケールの大きな歌詞だったという記憶があります。
その歌詞は以下のものでした。


「七つの海越えひびけ
 はるかの国の人へ
 ふるさとの野に歌える
 私の希望こそ
世界のすみまで同じ
 平和へのうたごえ

 青き空の色深く
 木立も草もひかる
 わが祖国よ 若者よ
 他国の山もまた
 同じひかりに映えるを
 ともに願いうたえ」
この歌詞の中にフィンランドは出てきません。

しかし、ウイキによると
本当の歌詞はこんな訳になるそうです。
もう少し激しい歌詞になります。
まあ、国家存亡の危機にあるわけですから、当たり前ですかね?


「おおフィンランドよ、見よ、おまえの朝が明ける
夜の脅威は消え去った
ヒバリは輝く朝を歌う
あたかも空が歌うかのように
夜の力は朝の光によって打ち負かされた
おまえの朝が明ける、祖国よ

おお立ち上がれ、フィンランドよ、高く掲げよ
偉大な記憶の冠が飾るおまえの頭を
おお立ち上がれ、フィンランドよ、おまえは世界に示した
(他国への)隷属を追いやったことを
そしておまえが抑圧に屈しなかったことを
おまえの朝が明ける 」

これを観ると、わが国はまだまだ平和ボケしているのかも知れません。
つい60年少し前に、国家が滅亡する危機から這い上がって築いて来た
今という平和を、ただ享受するだけの民族は、いずれ、本当に滅びの時を迎えるかも知れません。

http://www.youtube.com/watch?v=0qFpQPX7vEA&feature=related

スメタナの「モルダウ」を合唱で歌った

チェコ・フィルによるスメタナの代表曲「モルダウ」です。
フルートから始まり、次第に多くの管楽器が加わり、最後に弦楽器が入り
メインのメロディが始まる、
まさに小さな湧き水が集まり大河となる様子が、楽器でここまでリアルに表現できる。

もう感心するしかありませんね。



実は、僕がモルダウに接したのは、オケではなく、
合唱曲「モルダウ」でした。

しかし、この曲
いっぱい歌詞が存在します。

1、「ボヘミヤ平野を 永久(とわ)に
青く潤(うるお)し ゆるやかに
流れる川こそ 永久に
わが故郷(ふるさと)の 誇るもの
流れる川こそ 麗しき
我らが生命(いのち)の モルダウよ
水清き 川の流れ 懐かしや

ボヘミヤ平野を 永久に
青く潤し ゆるやかに
流れる川こそ 永久に
わが故郷の 誇るもの
わが故郷の 誇るもの」

2「ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
ボヘミアの川よ モルダウよ
わが故郷を 流れ行く

ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
やさしき流れ モルダウよ
光り満ち
わが心にも 常に響き
永久(とわ)の平和を なれは歌(うと)う
たたえよ 故郷の流れ モルダウ」

僕が歌ったのはこのどれでもなく、
「 なつかしき河よ モルダウの
清き流れは わが心
うつくしき河よ モルダウの
青き水面(ミナモ)は 今もなお
流れにやさしく 陽はそそぎ                
さざなみはいつも 歌うたい              
岩にあたり しぶきあげて 渦を巻く」

そんな歌詞でした。

このモルダウは交響詩「わが祖国」の中の1曲
さらに言えば
交響詩「我が祖国」は
「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「シャールカ」、「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」の6曲からできていて、
モルダウとはこの2曲目「ヴルタヴァ」のドイツ語読みなんですってね。

スメタナは、1824年3月2日 生まれ。
若い頃からピアノとヴァイオリンを学び、
さらに音楽を学ぶためにプラハへ行き、
とある貴族の家の音楽教師の座を獲得し、
1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受けて、彼自身の音楽学校を設立した。

スメタナは1874年に梅毒に起因して聴覚を失い、
最後は梅毒の進行による脳障害により正気を失い、
プラハの精神病院へ収容されて死んだと言われてます。

すごいのは、中途失聴者になっても作曲活動を続け、
この後に書かれた代表的な作品が、この『わが祖国』だという事です。

彼の頭の中で醸造されたメロディが、
今も聴く人をひきつける作品「モルダウ」になったのですね。

きっと。
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